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語れ!ガンダム!!
 
初代ガンダム
 

初代の伝説ってほんとすごいですよね。良くも悪くもこの作品が与えた影響はすさまじいものがありました。アニメをたかがアニメと馬鹿にできないものにしたのがこの作品でしょう。

今見ても、ストーリーやキャラクターの設定には深みがあります。逆に今の漫画やアニメのほうが深みやこだわりが無いような気もしますが。。。

でもなにより私が主張したいのは名わき役たちですよ。カイやハヤト、リュウ、スレッガー・・・ただの脇役なのにこんなに思い入れを持ってみてしまう作品はそうはないですよ!

初代がなにより衝撃的な作品だったのは、「敵が必ずしも悪ではない」という点であると思う。ヒーローものにあるような、絶対的に悪い奴を正義の味方が倒すというような単純明快な構図でなく、それぞれがそれぞれのために戦っている、そこにはそうせざるいおえない背景がきちんとあるという複雑な構図が描かれているのだ。

それゆえ、敵側であるジオン兵に同情的な、というよりジオン派の人も多い。ガンダムよりザクが、モノアイいいという人も多い。実に面白い。ハリウッド映画ももっと見習ってほしいものだ。単純すぎるんだよねー。インディペンデンスデイとか特にそう。パールハーバーなんかもそうだよね。日本兵の心情とかをまったく表現していなかったよね。

《初代が残したトラウマ:ランバラルとハモンへのリスペクト》

敵で夫婦という設定の漫画は、おそらくほとんどランバラルとハモンのオマージュでありリスペクトだと思う。この2人のような関係を描こうとして、失敗している作品をよく見かけるが、ほとんど駄目だ。なかなか、この2人のような関係を描けていない。いや、敵で夫婦とういだけで本当は意識していないのに、勝手に比較されてしまうのかもしれないが。

とにかく、ランバラルのかっこよさが多くのジオン派を生んだといっても過言ではないだろう。彼の武人としての、兵士としての潔さや部下の生活を心配するような大きな心は、これまでになかった魅力的な敵キャラクターであり、衝撃的であったといえる。

《政治的背景》

現代ガンダムが初代にどうしても勝てない。物足りないと感じてしまうのはなぜか?

よく考えてみた

そして、わかった!そう、「演説」だ。ギレン総帥やデラーズ閣下のような名演説がないのだ。高らかに演説しなければならないような政治背景や世界観を現代のガンダムは持ち合わせていないのではないだろうか?

とりあえず

ギレン総帥の演説

を諸君に聞いてもらいたい!!

Z
  富野監督がもっとも嫌うというZ、なぜ今映画版Zに手を貸しているのか不明。映画はかなり内容が変わっているみたい。結末もかわるそうな。。。
ZZ
 

きらわれものの「ZZ」。自分はそうでもないんだけど。まあ、最後の一騎打ちのときの超能力みたいなニュータイプの描写には絶望しましたが。最後のジュドーとハマーンの対決は良かった。でもハマーン様のジュドーの入れ込みようにはちょっと引きました。

ハマーンは寂しかったんだね。

逆襲のシャア
 

初代を見てから、次に観たのがこれ。ZとZZにアムロたちがあまりかかわっていないという話を聞いていたので,二人の結末が知りたい私はいきなりこの作品を見てしまいました。

正直それまでの経緯をしらない私にとってはチンプンカンプンだったけど、迫力のある映像は魅力たっぷり。なによりシャアとアムロの戦いは最高。絵もきれいだし!!

υガンダムとサザビー、カッコイイね!

0083 〜ジオンの残光〜
 

「ガトー、カッコイイ!!」

この作品を見た人は絶対にこう思うはず。『アナベル=ガトー、奴は漢の中の漢だ』と。

主人公のウラキ=コウ・・・なんて影が薄い薄い。まあ、ガトーと比べられたら何だって厳しいか・・・

ヒロインのニナはいままでのガンダムにはない感じのヒロイン。

ガンダム系のヒロインって一途な女の人がおおいよね。とうかほとんどの漫画とかってそんなもん。でもこの女はすごい。禁じ手ともいえる「乗り換え」をやっちゃうんですから。。。しかも一応主人公のウラキを・・・

ガトーさんは名台詞が多いですね。というか、0083のジオン兵はみな詩人です。

やたらとジオンがかっこよく見える0083です。

F91
 

 

V

 

ガンダムがもういやな富野監督が、いやなのにまた手がけた作品。これでもかというくらいの残酷なシーンや人の死が描かれている。シュラク隊のお姉さんたちが次々死んでいくのはみていられませんでした。ウッソの母親の壮絶な死(首がもげる)シーンなんてもう最悪。ウッソが母親の首のはいったヘルメットをマーベットさんに「母です」と渡す瞬間なんてもう、正視に堪えられなかったですよ。