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重要な教育者集
デューイ:経験主義教育の大家
  《デューイの功績、主義主張》
アメリカで起こった、プラグマティズムが源流。 ★プラグマティズムとはパースが実験的探求の方法を意味するものとして始めて用いた。

それをジェームスにより、根本的経験論として心理的色彩の濃厚な経験論へと導かれた。
デューイはそれらの立場を独自に練成した。それがデューイの経験論。

《デューイの「経験」とは?》
教育環境における、「主体」と「客体」との相互作用のことらしい。

デューイは、「経験」を練り上げ、さらに高い次元へと高めるために、「経験の再構成」を連続的に促すことが重要だと主張しました。

つまり・・・
『為すことによって学ぶ学習』=Learning by Doing を主張しました。

《デューイの経験論の特色》
@教科書中心の教育→生活経験へ
A記憶中心の教育→問題解決能力重視へ
B教師中心→学習者中心へ(学習者の心理的側面が重要視)
C抑圧状態からの開放
 教師が絶対的権威者(学習者の人権・発言・表現活動などがおさえ込まれた)
 →こうした抑圧からの学習者の解放(自由な自己表現を保障)

経験主義は、学習者の開放、主体化、学ぶことの意味を獲得させ、民主的・社会的人間の育成を目指しました。

《経験主義の問題点》
@結果的に児童中心的偏向をきたした。→教師の指導力の低下
A問題解決学習の『問題』の曖昧さ
B学問性の軽視(文化内容の系統的学習)
C基礎学力の低下←(そもそもここで指す基礎ってなにさ?)
D発展性のある共通の興味や関心、経験内容の決定が容易でない。→カリキュラム編成が困難

さらに

客観的知識の習得をめぐり系統学習と論争が勃発。
一度は脱経験主義がもてはやされ、否定されたが、再び経験主義は見直されてきています。

フレーベル:「幼稚園の父」
  《フレーベルの功績》 
フレーベルはペスタロッチの下で学び、「教育は生活経験からだ!」感じ、幼児教育に生涯をささげた男である。
幼稚園の創始者ともいわれ、現在の幼稚園の形態は、彼の幼稚園のシステムを原型としている。
子どもの自己活動を重視して、児童の遊戯の教育的意識を指摘した。(←要するにに、遊びの中の教育的要素を見つけ、学びに結びつくような遊具を考えた人です。)

「遊具「恩物」を考案して幼児期の教育のあり方を提唱した人物。」

《フレーべルの発見》
@子どもは生まれたときから創造的であり、全てのものと密接な関係を持ちながら、物事相互の関係や、他の人との関係について知りたがっている。
A子どもは自分で感じたことや、内面的なものを外に表現しようとする力をもっている。

そして、子ども達が遊びのなかで興味を持ったものを正しく理解し、より自由に表現させていくためには、
すべての形、色、数のこと正しく認識させなければならないと彼は考えました。。
また、子ども達の遊びは瞬間的で長続きせず、創造と破壊の連続。発想が次々と沸き起こっている!ということに気づきました。

そして、フレーベルは考えました。
「でも、形や色、数を教え込んでも意味がない・・・
 そうか!遊びの中に取り入れればいい!!
 遊びを行うのは基本的な形体を持つものにして、
 遊んでいるうちにその形などを感覚的に感じ取り、
 気づいていくことが大切だ!」

《フレーベルの発明》
ということで、フレーベルは作りました。
その名も、【Spiel-gabe(シュピエル・ガーベ)】、通称『恩物』です。
丸、三角、資格などの基本形の数理法則性を持たせたものです。
これらが現在の積み木の原型となっています。

恩物【Spiel-gabe】
積み木の原型 : 自発的活動を助成するもの。
恩物の目指すもの
@自発性をひきおこす
A創造性を育てる
B社会性の基礎を養う
C身体器官およびその機能の発達 
D知能の発達を促す
E科学性の基礎を養う
F集中力を養う
G情緒を安定させる
H美的感覚を養う
I自分で片付ける習慣を身につける。

ヘルバルト:四段階教授法の父
  《ヘルバルトの功績》
生国ドイツのみならず、世界各国の教育に多大な影響をあたえた男。
彼の功績といえば
「教育理論」と「教育実践」のレベルを科学的性を加味した教育学へと昇華させたことです。

特に
@教授法を段階化させたこと
A子どもの学習過程を表象心理学として体系づけたこと
が大きな功績である。

《ヘルバルトの教育における教授の定義》
「興味」は興味ある対象および仕事から生ずる。
この興味を喚起し、適切に提出することが教授の仕事である。
(→経験に立脚し、それを教師が上手に導いていくことが大切だ!)

これらはルソーの考えと一致するところであるが、次の一点でことなる
彼は、ルソーの教育観に対して、
『人間を自然にまかせようとしたり、あるいは自然に導こうとしたり、
 自然に即して陶冶しようなどと望むことは、愚の骨頂である。
 大体、「自然」とはなんなのか?』
と反論している。
要するに、
『子どもの自発性にのみ任せてはいけない。
 教師が段階的なカリキュラムによってサポートしてあげなければならないのだ!』
ということである。

そして、教育+教授=教育的教授として四段階教授法を考案したのです。

木下竹次:合科教授〜生活科の源泉〜
  《木下竹次の功績、主義主張》
大正新教育運動の中心となって活躍した理論家・実践家の一人。
木下は、児童中心の教育を具体的に,こと細かく,しかも体系的に論じている。
その中心思想がもっとも端的に表現されているのは「合科学習」の考えでした。

《合科教授の起源》
(1) 低学年の不自然な教育法の改革を!  
学習法が実施されて、その効果が見える様になって、どうしても低学年の教育法が不自然で不都合で仕方がない。

どうして、各児童を最初から能力相応に発展させないのか。何故に渾一的生活を発展させないのか。
と木下は考えたました。

(2) 家庭の教育から学校教育を考える。
彼が合科学習に想到したのは,「低学年の児童が自ら学習内容を定められるか?」という疑念からである。

そして、彼が思いついたのは、児童が入学する前の「家庭生活」である。
彼は、
『家庭教育固有の意義を保持しつつ、更にこれを改良して学校に
 延長したならば,必ず低学年の児童も学習することが出来て
 人生を渾一的に発展させることができる。』
と考えました。

(3) 複式学級と家庭的学級と学習法 
『複式学級の方が比較的社会性を多く帯びている。』
木下はそう考えました。彼の一言。

『複式学級を一つの家庭の様に組織し、合科学習法を実施したならば,
 恐くは単式学級におけるそれよりも有効な効果を挙げることが出来るであろう。』

↓とうとう実施!

(4) 合科学習法実施前の木下の苦心と実施後の安堵
学校教育には法令上一定の要求があって、その要求を充たさなくてはならない。
学校教育には堅い伝統形式があってこれを破ることは容易ではない。


だが、木下は 
「たとえ学力は一時に低下しても、真人至人を養成するには
 合科学習の実施は必要である。幸にも実施後の経験によると、
 むしろ初学年から学力が高くなることを経験した。
 もちろん、その間に教育者の非難、父兄の反対はあった。」

彼がこのように,積極的に全学年において合科の学習を行なおうとしていた背景には
「生活の発展」「生命の全一的発展」という生活科の思想が明確に示されていたといえます。

コメニウス:近代教育学の父
  《コメニウスの功績》
ベーコンの影響をうけ、「知」の普及活動によって世界平和を望んだ。
また、著書「大教授学」において
「すべての人に、すべての事を、すべての面にわたって教授する」
という当時としては画期的な考えを示した。

《コメニウスの主張》
@「合自然の原理」だ!
自然現象に教育を合わせていくべきだ→当時の少数エリートの古典的な詰め込み学習を批判。
人間本来もつ事物認識を獲得する力を基礎においた教育を!!

A教育の段階化を!
感覚からはいる。自然との感覚的なふれあいをとおして、子どもの意欲を喚起させるべきだ。
→視聴覚教育の源流「世界図絵」を記す。
→彼の考えは、ペスタロッチ、フレーベル、ルソーへと受け継がれる

ぺスタロッチ:「直感主義」「基礎陶冶」
  《ペスタロッチの功績》
生涯を貧民の救済ささげた教育実践者。
コメニウスやルソーが学者であったことに対して
ペスタロッチは『真の社会改革は教育実践によってのみ達成できる』
という信念によって、終生を貧民の救済と孤児らの救済にささげた実践家でした。
また、直感主義の教育方法「メトーデ」を確立しました。
※直感とは直接ものを観て教えるという実物主義の考え。まずは実際に感じろ!ということですかね。

そしてそれら直感をきっかけとして、「数・形・語」を教えていきました。
たとえば、果実をとおして、その数や形、名称や性質を教えるという感じです。
そして彼は基礎陶冶を重視し、これからの社会を担う子どもの育成を目指しました。

★ペスタロッチの言葉

「わたしは全孤児院そのものを秩序よく正しく経営していくために、さらに一個の高い基礎を求め、しかもそれをいわば創造しなければならなかった。 のみならずこの基礎のできないうちは、孤児院の教授も学習も十分には組織できなかった。わたしもそんなことは欲しなかった。
教授も経済も学習も先走った計画からではなくて、むしろ子どもとわたしの関係から発展すべきだった。
わたしはそこにもまた高尚な原理と陶冶力を求めた。それは孤児院の高尚な精神と子ども自身の調和的な注意と活動とから生まれてこなければならず、また彼らの生活と彼らの要求と彼らの社会的関係とから直接生まれてくるべきものだった。」
『シュタンツだより(岩波文庫より)』

子どもとペスタロッチの関係
★ペスタロッチの言葉2

「ですから、人間に対する教授は、すべてその本来の発達にむかっての自然本性のこの努力に手をかす技術に他なりません
。そして、この技術の本質は子どもに刻み付けられる印象と、子どもの能力の発達程度との均衡および調和をはかるというところにあります。」
『ゲルトート児童教育法』

これは生活科でいう『支援』の思想である
彼は『支援が子どもの内面においてどのような形で成就するか』を視点において論じているのである

さらに彼は、子どもに対する教授(=支援といってよいだろう)の3原則をあげている

@彼らの直感の範囲がどんどん広がるようにすること。
A彼らが意識するにいたった直感を明確に、確実に、そして混乱することなく、彼らに印象付けること
B自然や技術がかれらの意識にもたらしたもの及びいくらかはもたらすはずのもの、のすべてに対して、十分な言語上の知識を与えること


※つまり彼は、子どもたちを注意深く観察し、彼らの「直感」からその教育をはじめようとしたのです。

★ペスタロッチの言葉3

「とくに私の信じるところでは、子どもがものを思索しはじめた最初の時期は、言葉本位の教授や、また学習者の精神状態と彼の外部関係とに適合しない。
教授によってみだされる。教育上の命題というものは、現実の諸関係と切り離せない直感的な経験を考慮してはじめてらだしいものとして確かめられるのだ」

《ぺスタロッチの教育理論「基礎陶冶」》
☆人格陶冶は人類陶冶である
@知識の陶冶
A技術の陶冶    これらBつの調和的育成が「真の人間的な教育」である。
B道徳の陶冶

ロック:家庭教育を重視
  《ロックの功績、主義主張》
コメニウスの死後、40年後に彼は登場した。
児童教育においては、学校よりも家庭教育を重視した人物。

《ロックの教育思想》
教育において、知識の習得は重要でなく、道徳に基づく人間形成の教育こそ重要であるとし、
幼少からの家庭教育による人格形成を主張した。

★つまり、学校のあり方どうこうではなく、個人の人間形成を如何にして為すかという点に注目している人である。

《ロックの思想の特色》
『教育は健全なる身体に健全なる精神を宿らせるように人を助成しなければばらない。』
という言葉が表すように、
知識の習得や学習能力の向上よりも、
健全な身体の育成を教育の重要な用件ととらえ、毎日の運動と簡単な食事による鍛錬を勧めています。(処世術、作法の習得)

また、交際や遊戯など、特に教授という形を取らずに、
実際の社会の中から物事を学べるような形をよしとしました。

またこれまでの教師の「刑罰」や「強制」に基づく学習は教育の妨げとしているいます。

《ルソーとロック》
ルソーの理論はロックを土台としています。

しかし、ロックは『本能や欲求は作法や処世術で抑制すべきだ!』という考えですが、
ルソーは『本能や欲求などの自然な感情は抑える必要はない!』
とし、『教師は不道徳な情報や自然にそぐわない知識を排除するだけでいい』としています。
ここに2人の違いがあります。

子どもの成長に合わせて子どもに必要な知識を教授するのではなく、
ロックの思想と同様に実際の出来事や社会にそくした遊戯が
教師により計画された出来事等を通し悟らせる方法が取られています。

ルソー:子どもの発見、近代子ども観の創始者
  《ルソーの功績、主義主張》
ルソーは彼のの代表著作『エミール』において

『子どもは小さな大人ではない
 感性的な存在から悟性的存在、
 そして理性的な存在へ自発的に発達する存在である。
 自然かつ個性的な存在。
 したがって、
 子どもはそれぞれの発達段階において固有の価値と意味を持ち、
 それらがそれらの段階において、充実した発達をとげる必要がある。
 だからそれら、子どもの可能性が全面的に発達するような教育によって
 その権利が保障されなければならない。』

と主張し、子どもを『発達権をもつ主体』として位置付けました。

《子ども観成立の背景》
@科学的世界観の確立
A封権制度的共同体の崩壊と個人の自立→近代市民社会化と家族意識の確立

これら2つの要因から、子どもが自ら自我を形成していく主体であることを見出しました。

そして、彼は
『社会を改革するのは正しく教育された子ども達だ!』
とも主張しました。

《ルソーの『児童中心主義』》
主張@ 『消極教育』
『万物をつくる物の手をはなれているとき、
 すべてがよいものであるが、
 人間がそれに触れると、すべてが悪くなる。』(性善説の立場)

教育者は子どもの中の『自然』にあわせて、
いつ、どこで、何を教えるのか考えなければならない。
としました。

ルソーにとっては
「自然」⇔「社会」という対立構造である。

要するに、教育者はなにもしなくてもよい。ただ見守るだけだ。というのです。
教師の仕事は
「知識の教授」ではなく「自由な自己発展に基づく人間形成を即すること」にあるとしたのです。
さらに、教師の任務は『人間形成の邪魔になるものを排し、自己の発展を助けること』としました
ゆえに、一人の教師が一貫して一人の子を成人まで教育するべきだとしました。

主張A 『早期教育の否定』
簡単にいうと、いつ死ぬかわからないのに、、不確定な未来のために現在を犠牲にすることはないということです。